菓匠 萬菊屋の歴史

当社の創業は江戸後期と伝えられており、此処赤湯温泉において一番歴史を持つ菓子舗であります。
しかしながらいま現在、創業何年というのはわかっておりません。と申しますのも、此処赤湯温泉は江戸時代後期において、幾度かの大火災に見舞われており、その際に文献の多くが焼失しております。その為、それ以前の歴史につきましては定かではございません。

※ペリー提督が黒船を率いて浦賀に来航した嘉永6年(1853年)、赤湯温泉では大火災に見舞われ82軒が焼失、さらに安政3年(1856年)にも相次ぐ大火災で126軒、9年後の元治2年(1865年)、5年後の明治3年(1870年)と多くの大火災により沢山の人命と文献が失われました。

萬菊屋(後藤家)におきましては5代目の戒名より『まんぎく』という文字がでるものの、現在の「よろず」の『萬』ではなく「みちる」の『満』の『満菊』という文字でございました。
その後どのような経緯で『満菊』が『萬菊屋』となったのかは今となっては知り得ておりませんが、江戸の後期に菓子製造をしていたというのはお寺の文献に記述されております。江戸、明治を経て現在、菓匠萬菊屋では後藤家14代目が日々菓子創りに励んでおります。
伝統を守り、のれんを守りながら、和菓子一つ一つに真心込めてお作りし皆さまのお越しを心よりお待ちしてます。
赤湯温泉にお越しの際は是非お立ち寄り下さいませ。

大正6年11月 於帝國製菓博覧會 壹等賞金牌受領記念
左から2番目 当主 覚蔵

当社に保存されている明治時代の鑑札(営業許可証)

昭和20年頃の店舗

菓子つくりの器具

後藤家12代の書

昭和25年、赤湯温泉を維持した源泉の発掘。
後藤家11代後藤學蔵も温泉委員として尽力しました。

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